学校行事

鼓山祭(文化の部)

ステージ発表

1・2年次生が各クラスごとで劇をしたり、ダンスを踊ったりします。動画を撮影、編集し放映するクラスもあります。
何度も練習を行い、工夫を重ね、より良いものを創っていきます。
有志のステージ発表はダンスなどの自分たちの得意なことを魅せてくれます。意外な特技を持つ生徒が現れたりもします。

展示

1・2年次生の各クラスが展示を行います。どのクラスも独創的なアイデアがあり、長蛇の列ができるクラスもあります。各クラス、当日までには様々なドラマがありますが、当日にはきっちり仕上げてくるのは流石の一言です。

各文化部・各種委員会

各文化部や各種委員会が日頃の活動をまとめたり、作品の展示をしています。どの団体もクオリティの高いものばかりです。
特に、吹奏楽部のステージや、書道部の書道パフォーマンスは毎年大盛り上がりです。

生徒会企画

生徒会メンバーが考案した楽しい企画が盛りだくさん!
「勝高クイズ」や「勝高のど自慢大会」などがあります。この他にも、オープニングからエンディングセレモニーまで、いたるところで生徒会メンバーたちが大活躍してくれます。

鼓山祭ギャラリー

鼓山祭について(校長 池田 浩規)

 学校の歴史は110年以上あるのに、鼓山祭はなぜ第1回目の開催が、2000年なのでしょうか。
この記述は校長池田が、勝山高校在学中に当時の先生方から聞かされた話を基に記し、第1回鼓山祭開催については当事者として正確な記述になっています。

 真庭・勝山地区はお祭り処、昭和40年代には学校祭も盛り上がり、かなりヒートアップしていったようです。年々趣向が凝らされ、学校祭は盛んになっていったそうです。
 学校祭が行われるのは9月上旬、就職試験が始まる時期であり、4年制大学進学者にとっては追い込みが始まる大切な時期です。その時期に3年生が学校祭にのぼせ上がることを先生方は嫌ったようです。 そのため第1回鼓山祭が始まる平成12年まで体育祭は「体育会」、文化祭は「文化発表会」という名称で開催され、音楽バンドの参加が禁止されているなど抑制された形での開催となっていました。

 時は流れ、平成10年代。多くの進学主体の高校が学校祭について文化祭と体育祭を連結させて3日間で行うようになってきました。開催時期は9月上旬。名称も各校にゆかりのある地名や校訓などが使用されました。
 当時の生徒課長、谷合先生を相談役として頂き、若手のリーダーであった生徒会主任樋口俊通先生を中心として「会」から「祭」への移行と検討がなされました。現在の形に持っていくには大変な苦労がありました。樋口先生を中心として周到・綿密な準備が行われ、第一回の鼓山祭にこぎつけることが出来ました。
 応援合戦は毎年洗練され、岡山県内でもトップレベルの学校祭として今に至っています。また名称は本校の裏山にある太鼓山からとっています。この名称は教員誰一人反対する者もなく、また積極的な提案もなく、いわば「名前は鼓山祭じゃろう」ということで決まったと記憶しています。