学校行事

鼓山祭(体育の部)

生徒が主体となって盛り上げる鼓山祭(体育の部)。勝山高校最大の学校行事の一つです。
各学年を赤・青・黃の三団に分け、順位を競います。

決起集会

生徒会長から鼓山祭のスローガンが発表されます。
応援団長や各パート主任からのあいさつもあります。

各団での準備

1・2年次生は人文字と応援看板、3年次生は応援合戦の準備、練習を進めていきます。
団席や保護者席、テントなども生徒たちで準備していきます。

クラスTシャツ

各クラスごとにオリジナリティのあるTシャツを作成します。
Tシャツのカラーは赤団・青団・黃団に合わせています。クラスの一体感、各団の一体感が高まります。

人文字

1・2年次生が合同で行う岡山県内の高校で唯一の人文字。文字や模様がピタッと揃ったときの光景は壮観です。

応援看板

岡山県内の高校で最大の大きさを誇る応援看板。団席に飾り、遠くからの華やかさも、近くからの緻密さもどちらも楽しめます。

応援合戦

3年次生の各クラスが、応援パートと衣装パートに分かれて、迫力あるものを作っていきます。3年間の経験や思いが凝縮された応援は全クラスとも圧巻です。

鼓山祭ギャラリー

鼓山祭について(校長 池田 浩規)

 学校の歴史は110年以上あるのに、鼓山祭はなぜ第1回目の開催が、2000年なのでしょうか。
この記述は校長池田が、勝山高校在学中に当時の先生方から聞かされた話を基に記し、第1回鼓山祭開催については当事者として正確な記述になっています。

 真庭・勝山地区はお祭り処、昭和40年代には学校祭も盛り上がり、かなりヒートアップしていったようです。年々趣向が凝らされ、学校祭は盛んになっていったそうです。
 学校祭が行われるのは9月上旬、就職試験が始まる時期であり、4年制大学進学者にとっては追い込みが始まる大切な時期です。その時期に3年生が学校祭にのぼせ上がることを先生方は嫌ったようです。 そのため第1回鼓山祭が始まる平成12年まで体育祭は「体育会」、文化祭は「文化発表会」という名称で開催され、音楽バンドの参加が禁止されているなど抑制された形での開催となっていました。

 時は流れ、平成10年代。多くの進学主体の高校が学校祭について文化祭と体育祭を連結させて3日間で行うようになってきました。開催時期は9月上旬。名称も各校にゆかりのある地名や校訓などが使用されました。
 当時の生徒課長、谷合先生を相談役として頂き、若手のリーダーであった生徒会主任樋口俊通先生を中心として「会」から「祭」への移行と検討がなされました。現在の形に持っていくには大変な苦労がありました。樋口先生を中心として周到・綿密な準備が行われ、第一回の鼓山祭にこぎつけることが出来ました。
 応援合戦は毎年洗練され、岡山県内でもトップレベルの学校祭として今に至っています。また名称は本校の裏山にある太鼓山からとっています。この名称は教員誰一人反対する者もなく、また積極的な提案もなく、いわば「名前は鼓山祭じゃろう」ということで決まったと記憶しています。